関大映研OB会 周辺あれこれ
雑喉先輩より
第二水曜日に強制的でなく気が向けば、時間の都合がつけば、
6:30ごろより8:00過ぎまで、お互い元気な姿を見、往年の気概を呼び起こそうと考えています。
場所は梅田新道東映会館の一本南の筋を西入る50b、ビル名は「エスパス新地21」6階建てで、
ごく最近に建築された飲食店中心のビル6階「エチュード」です。
地図を書く手法を知らないため言葉の説明で判り難いかと思います。
電話は06-6344-7007or6344-8008
北新地本通の一本北の道です。

酒井幹事長によると、最近はあまり集まってないとのことです(2005.4現在)
谷龍之助先輩からのメール
思いがけなく,映研からのメールに驚愕。
小生は,昭和34年度卒業生で、水田先輩に言わせれば映研の黄金時代の申し子です。
先輩には,山本寛明,雑喉雅夫、の諸氏,後輩には大嶋正雄、酒井俊夫.の諸氏が部室を賑やかにしていました。
文芸部なるものがり、 映画への道 なる機関雑誌を刊行し、映画評論、合評会、ベストテン、コラム、随筆、お知らせ等と先輩の方々と現役の住所録を記載し、先輩方には持参して報告または、遠方の方には郵送し交友をはかっていましたが、いつのまにか文芸部なるものが霧散したのか、先輩後輩部の繋がりと映研の歴史が途絶えたままになってしまったのが現状です。

当時は、事業部が盛況で切符売りが盛んでしたが、文芸部には人材が豊富で、文才や画才に長けたもの、大勢いました。
授業に出る時間よりも、部室で過ごしたり、映画館に入り浸ったり,麻雀屋でとぐろを巻いていた時間の方が多かったのを覚えています。
いずれにしても,学生運動で部室を乗っ取られたのが痛手だったようです。(2000.11.24)

顧問・堀先生(法学部教授)
古い写真が出てきました。


昭和45年(1970)8月、映研が解散したときの合宿です。場所は鳥取砂丘。
解散の悲壮なムードは全くなく、主義の違いでいがみ合っている様子も見えません。
実に楽しそうで、和気あいあいです。
撮影者は唯一写ってない中井純一氏であろうと思われます。
自分が写っている、と思う方で、映研OB会の案内が届かない方はご連絡ください。